相模原市の都市形成の歴史を振り返ると、大きなインパクトが過去に2回ありました。ひとつは「軍都計画」です。昭和14年から県によって行われた市中央部の約1,600ヘクタ-ルに及ぶ相模原都市建設土地区画整理事業で、現在の市庁舎を取り巻く整然とした街なみはこの時の遺産であり、広い道路や街路樹は相模原の未来都市づくりにとって大きな財産となっています。

 これを相模原の第一次大改造計画としますと、第二次改造にあたるのが、昭和30年に制定された工場誘致条例と、33年に国の首都圏整備法で指定を受けた工業都市に向けての市街地開発区域をバネとした「工業立市計画」でした。これ以降、相模原には工場進出が相次ぎ、全国でも有数の内陸工業都市の道を歩み、58万人という全国17番目の都市に発展する礎を築きました。

 戦前に行われた軍都計画は国策、戦後行われた昭和30年代の工業立市は市の都市政策の方向性と国の施策が時代の流れのなかで相まって相模原市が発展してまいりました。これは、首都東京に近接している立地条件があればこそ大きなチャンスに恵まれたと言えます。

 こうした経緯を経てわが国は今、国際化、情報化、高齢化の時代の流れの中で社会、経済はもとより、あらゆるシステムの転換を迫られており、相模原市もこの例外ではありません。そこで私たちは、今の時代を大きな転機ととらえ、「自立都市相模原」を目指す第3次大改造計画に向けた提言を試みた次第です。

 このために私たちは、将来性を含め改めて相模原市の資源に着目、それを踏まえて「大地と宇宙を結ぶものづくり・まちづくり・人づくり」をコンセプトに考えました。このコンセプトは産業振興のみにとどまらない、地域社会の将来像ととらえ、「大地と宇宙を結ぶまち相模原」を全国に、世界に発信したいと考えています。

 この提言が産業人はもちろん、行政をはじめとした関係者各位に理解され、市民も含め相模原のものづくり、まちづくり、人づくりを考える端緒となれば幸いです。

第1章:第3次相模原大改造計画のコンセプト

「大地と宇宙を結ぶものづくり・まちづくり・人づくり」

 このコンセプトの「大地」は相模原の平坦で広大な土地と関東ロ-ム層による地盤の強さを示しており、「宇宙」は相模原に宇宙ロケットや衛星を発信する文部省宇宙科学研究所が所在する意味もさることながら、平坦な土地だからこそ大きな空、宇宙を抱えこむことが出来るという発想によるものです。そんな大地と宇宙を結ぶものづくり、まちづくり、人づくりは無限の夢をはらんでいます。

第2章:相模原の資源と将来性

生かしたい資源

①大地

 相模原の地形は相模川沿いの下段、横山丘陵がつらなる中段、それに平坦な上段の三段で構成されています。このうち広大な面積を有する上段はその昔、林野でした。それが開拓され、陸稲や芋類、養蚕といった畑作中心の農業が展開されましたが、必ずしも農業に適した土地とは言えず、開拓者たちは相当な苦労を強いられたようです。

 それが戦後の市制施行当時まで続き、住民同様に貧しい財政を余儀なくされた市は、このために隣の川尻村(現城山町)との合併を模索しましたが、「貧しい相模原と合併しても益はない」と断わられたというエピソ-ドもあるくらいです。しかし、そんな貧しい土地も国の戦後復興策と、それに続く高度経済成長政策で救われました。

 内陸工業都市として工場進出が相次ぐと共に住宅ラッシュが続き、全国でも屈指の人口急増都市となった相模原は一転して“肥沃な土地”になったのです。

 首都圏の中にあっても東京に近いという利便性がひと役かった要因もあります。しかも平坦で広大な大地が開発する側にとって有利だったこともあります。こうして相模原は北部の内陸工業都市と南部の住宅都市の二つの顔を持ちながら発展を続け、JR横浜線は複線化され、単線運転ながらJR相模線も電化になり、長年の懸案だった京王相模原線の橋本乗り入れも実現しました。

 その一方で、小田急線相模大野駅、JR横浜線の相模原駅と橋本駅各周辺の中心商業地形成事業も順調に進められており、3つ目の顔として商業都市としての発展も期待されています。かって農業で生計をたてなければならなかった時代と比べると、“青天の霹靂”と言えるほどの大変貌をとげたことになります。

 さらに地理的な面で言うなら、相模原の背後には神奈川の水ガメ津久井があります。相模ダム、城山ダム、宮ヶ瀬ダムと3つのダムを抱える津久井4町には水と緑という大地の恵みが集中しています。しかしながら、そのために4町は山林などの開発を厳しく規制され、貧しい財政を余儀なくされています。

 そこで相模原が津久井と共存する形でその恵みを大切に守る方法も考えられます。相模原が内陸工業都市として発展することができた要因の中には少なからず津久井の水がありました。互いに共存する形をつくることで、相模原がそのお返しをするという発想です。そうすれば相模原の地理的資源はなお一層拡大するものと思われます。一方、こうした地理的資源とは別の角度で相模原の土地に着目したいのが、その地質です。

 大正12年9月1日、伊豆大島の東方を震源地に発生した関東大震災は死者・行方不明者10万6千人、負傷者5万2千人、家屋の被害69万4千戸という大被害をもたらし、特に震源地に近かった神奈川は小田原、足柄、鎌倉、横須賀、横浜などが大打撃を受けました。そんな中で相模原は「激震地に比べれば軽微で、相模川沿岸の新磯・麻溝・田名・大沢などの段丘上では通路の亀裂や崖崩れが甚だしく、特に下溝はけ通りの段崖は第一震で約2百間4百坪が崩壊し、人家3戸が10数メ-トル崖下に墜落、なお数戸が倒壊あるいは大破したものの幸いにも死傷者は出なかった」と言われています(座間美都治著「相模原の歴史」より)。

 こんな経緯もあって相模原の大地は地震に強いと言われています。地質学上それが実証されたわけではありませんが、関東ロ-ム層による地盤の強さが買われて企業や研究所が進出したという話もいくつかあります。

 淵野辺にある石油をはじめとした地下探査の世界的企業シュルンベルジェもその一つであり、映画フイルムの保存、貯蔵に適しているとして、東京国立近代美術館フィルムセンタ-相模原分館が米軍キャンプ淵野辺跡地に移転してきました。同じキャンプ跡地の文部省宇宙科学研究所も同じような理由で移転してきたと見られています。

 また、古くは大野台のゲイマ-ぶどう園の貯蔵室がその特長を最大限に生かした自然の地下室として知られていましたし、東急建設が通産省工業技術院の委託を受けて田名に掘削した地下80メ-トルの地下利用実験施設ジオド-ムも地盤の良さで白羽の矢が立てられたと言われています。

 このように相模原は首都圏の中にあって好位置にある地理的資源と関東ロ-ム層による地質的資源に恵まれ、今日の発展に至ったと言っていいと思います。

 こうした経緯を改めて振り返りますと、相模原の恵みの大地に腰を据えた世界的な企業シュルンベルジェと、最先端の科学技術を擁する宇宙科学研究所は、今後相模原に新たな恵みをもたらす象徴と言えるかも知れません。

 ものづくりで言うと、それはジオビジネスと宇宙ビジネスです。ジオビジネスは地下開発ばかりとは限りません。地盤が強いということはデ-タベ-スの保存にも適していることであり、政府や自治体、金融機関をはじめとした民間のデ-タ貯蔵のバックヤ-ド機能にもつながり、その貯蔵システムを発信システムに換えることでビジネスは広範囲に広がるからです。

 片や宇宙ビジネスにしても、宇宙の探査ばかりとは限りません。今や人工衛星は通信、放送に欠かせないビジネス・シ-ズになっており、マルチメディアの情報産業こそ宇宙ビジネスと言えます。それだけにこのビジネスもまた無限大に広がっていくと想定されます。

 私たちが「大地と宇宙を結ぶものづくり・まちづくり・人づくり」をコンセプトにしたのは、こうした時代の先取りにほかなりません。

魅力ある将来性

 人口58万人を擁し横浜、川崎に次ぐ県下で3番目、全国で17番目の都市相模原は、前述の地理的、地質的資源の相乗効果で今もなお発展の可能性を持っています。その大きな要因となるのが新たな交通網の計画です。

 その一つがリニア中央新幹線で、今春から山梨実験線で実現にむけた第一歩がスタ-トしましたが、昨秋は市内にその駅設置を誘致しようと相模原で一都一府七県の沿線経済団体による促進大会が開かれ、相模原商工会議所が大会運営の主役を務めました。

 このリニア中央新幹線が実現し、市内に駅が設置されると、相模原は神奈川の中部圏あるいは日本海圏、ひいては東南アジア圏との交流の玄関口になり、市内だけでも相当な経済効果が期待されます。神奈川はこれまで、東海道線に沿った太平洋ベルト地帯との経済交流が中心でしたが、これにより新たな経済交流の可能性が高まるため、市内の産業界にとっても新たな時代を築く転機になるものと思われます。

 リニア中央新幹線はまた、JR相模線の複線化を促すものと見られます。この中央新幹線とは別に県と沿線自治体は、東海道新幹線の新横浜、小田原間に新駅設置運動を展開、その候補地として相模線の倉見駅(寒川町)と平塚および綾瀬市の3カ所を候補地にあげていますが、最も有力視されているのが同新幹線と相模線が交差する倉見駅と言われています。

 ご承知のように相模線は八高線と連結することで山手線、南部線および武蔵野線、横浜線に次ぐ首都圏の第4環状線に相当しますので、JR東日本の考えも重なって倉見案が有力というわけです。

 仮にそうなりますと、中央新幹線の駅は相模線も乗り入れている橋本が有力視されているとあって、相模原は東海道、中央両新幹線の結節点になります。そればかりでなく、現在唐木田まで乗り入れている小田急多摩線のJR相模原駅を経ての相模線上溝駅への乗り入れ計画も一気に促進されるものと思われます。

 こうした鉄道網だけではありません。道路網にしても中央自動車連絡道のさがみ縦貫道が当麻に相模原I.Cを計画しており、すでに城山町で小倉橋架け替え工事が始まっている相模原津久井広域道路とこのさがみ縦貫道が連結することで、相模原は道路網でも東名高速道路と中央高速道路を結ぶ結節点にもなります。

 こうした新道路網を見すえた中で相模原に物流拠点をつくる構想もあります。運輸省のサテライト基地構想と建設省のロジスティックス構想で、新たな道路網は相模原を物流の拠点にする可能性を高めることになり、中央新幹線同様に津久井との共存をなお一層促すと共に中部圏、日本海圏との交流を促進することになります。

 しかしながら、こうした将来性は過去の「軍都計画」や「工業立市」と同様の外因にほかなりません。もとより、これも相模原の地理的および地質的資源が重視された結果と思われますが、そこでこれから課題となるのが私たち産業人を含めて相模原はどう動くのかということになります。そこに私たちの今回の提言の趣旨もあります。

 その提言については第3章で触れますが、鉄道網や道路網の将来性にあわせて新たな市域交通網の整備こそが必須になってきました。市はこれまで新しい交通システムの構築に関して5年余の歳月をかけ調査、研究を重ねてきましたが、いまだにその結論を出すまでには至っていません。

 そこで私たちは新交通システムの一日も早い導入を求めます。なぜならそれはリニア中央新幹線、さがみ縦貫道とセットで考えるべきだからです。また、世界の国々の中でも顕著な高齢化社会を間近に控え、福祉をはじめとした議論が活発化する一方、産業界でもそれに対応した動きが始まっていますが、新交通システムこそが高齢化社会にふさわしい交通機関と考えるからです。

 時代はその高齢化と共に、国際化、情報化の流れが加速しています。これまで述べてきた相模原のポテンシャルである資源と将来性はそうした時代の流れとも合致しています。

 その一方で地方分権が叫ばれる中、私たちは政令指定都市も視野に入れた自立都市相模原の実現も願っています。その前提として私たち産業人もまた個人として、企業として自立する努力が必要なことは言をまちません。

 しかし、「自立」は人があって、他者があって可能なものであって、他者との関係なく我一人の自立というものはあり得ません。人や企業が自立をめざす中で自立都市相模原をめざす。こんな姿勢で私たちは相模原の資源と将来性を踏まえながら、「大地と宇宙を結ぶものづくり・まちづくり・人づくり」をコンセプトとした提言に至りました。

第3章:提言

「大地と宇宙を結ぶものづくり・まちづくり・人づくり」に向けて

 1.ものづくり研究機関の設立

 市内の産業振興の情報および技術の研究開発拠点とし、ジオビジネス、宇宙ビジネスをはじめとしたあらゆる情報の収集、加工、提供を行うと共に技術の調査、研究と開発の提供を行う。このために大学や公的研究機関(例えば文部省宇宙科学研究所)、民間企業(例えばシュルンベルジェ、NEC等)と提携する一方、眠っている特許の有効利用もはかる。また、関連分野のすきま産業とか定年退職した市内在住の高齢技術者(職人も含む)の発掘、提供なども行う。

[関連提言①]試作とデザイン分野の技術振興

 相模原の工業は組立加工型を中心に発展してきた。それを支えてきたのが金型とその前段階にあたる試作・デザイン技術で、このすそ野の広さにおいて相模原は全国でもユニークな存在となっている。そこでこうした技術のさらなる振興をはかり、「試作とデザインのまち相模原」を全国に、世界に発信する。

[関連提言②]情報バックアップセンターの調査、研究

 相模原の地質資源を生かして公的機関や金融機関をはじめとした民間企業のデータ保存機能を持つバックアップセンターの設立に向けた調査、研究を行う。

[関連提言③]田名のジオド-ムの有効活用

 地下80メ-トルのこのド-ムは実験を終えると埋め戻されてしまうと言われている。地下利用の研究を継続する一方、教育や文化などに役立てるためこの実験施設を保存、運営する。この運営費は年間で約2千万円と言われているので当面は市が運営し、後に研究機関に移管する。

 2.まちづくり推進体制の確立

 行政と商工会議所、農協、市内の諸団体で推進組識をつくり、商業、農業はもとより福祉、教育、文化などの各分野を網羅した情報および社会基盤の整備を行う。このために国の支援制度を有効活用し、まち全体で「大地と宇宙を結ぶまち相模原」を全国に、世界に発信する仕組みをつくる。

[関連提言①]新交通網の整備

 前章で触れたように市内の動脈として欠かせないだけにリニア中央新幹線やさがみ縦貫道などとセットした発想で市単独で着手することが必須と考える。

[関連提言②]津久井4町との共存を視野に入れた政令指定都市へ

 津久井の大地の恵み「水と緑」を絶やさないため、4町と共存した地域社会づくりをめざし、その延長として政令指定都市をめざす。

[関連提言③]物流拠点の整備とテ-マパ-ク建設の促進

 相模原はさがみ縦貫道と相模原津久井広域道路により東名、中央両高速道路の結節点になり、鉄道網においても東海道新幹線とリニア中央新幹線の結節点の期待が高まっている。こうした動きから県はマスタ-プランで相模原を「北のゲート」に位置づけた。言葉を換えると、こうした交通網の整備は人とものが集まることである。そこで大島周辺に関東圏、中部圏さらには日本海圏、東南アジア圏を視野に入れた一大ロジスティックス基地の建設と、麻溝台・新磯地区のC&C構想エリア内もしくはさがみ縦貫道の相模原ICが設けられる当麻地区にテーマパークの建設を促進、あわせて商業機能の集積もはかる。

3.人づくりに向けて

 産業振興は産業人だけの知恵の結集だけで出来るものではなく、学識者や文化人の知識が欠かせない。このため市内在住の学識者、文化人の発掘を行い、その頭脳の結集をはかる。その一方で長期的視野に立ち、市内小中学校で「大地と宇宙」をテ-マとした副読教育の導入を促すことも考えられる。

4.研究機関・推進体制づくりに向けた産学官のプロジェクトチ-ムの設置と専任スタッフの配置

 準備組織として(財)相模原市産業文化財団主管の産学官によるプロジェクトチ-ムを設置すると共に研究機関、推進体制の専任スタッフとインタ-ネットなど通信回線を設け、早急な準備に入る。なお、研究機関、推進体制の具体化に向けた参考資料は次のとおり。(以下要点のみ)

参考資料①:バックアップ(うしろだて・サポ-ト)都市宣言

 単に産業の発展だけでなく、今後の日本の社会システムづくりのモデル都市をめざすものである。

提案要旨

  1. 社会、産業基盤整備を実現する。

~その準備、活動を行う。

~産業基盤となる組織、機能、施設を実現する。

~国の支援措置を有効に使う工夫を検討する。

2.研究所設立

・色々な技術を公的に発展させる場

・民間の技術習得、発展及びビジネス情報の収集

・大学との提携、共同事業

3.バックアップセンタ-の設立

~相模原市の地盤が非常に安定である事を活かした社会システムのバックアップセンター

4.市役所、商工会議所に1~3実現のための専任の方、そしてパソコンとパソコン通信、或いはインタ-ネット回線を設ける。

参考資料②:自立都市相模原をめざして

 現在日本は超スピ-ドで高齢化から高齢社会に向かっています。この高齢社会になったとき、活力ある都市を維持できるかどうか初めて経験する時代を迎える訳です。このような時代を迎えたとき、相模原市が活力ある都市として生き抜くために自立都市をめざすことが必要です。この自立都市を支えるためには、まず大切なのが、産業の発展、あるいは創造です。経済がしっかりしていなければ活力ある都市を維持することはできません。また、そのためにはいろいろな都市の仕組みが必要となり、まず、第一に人の移動と情報の移動の仕組づくりとして、交通網の整備、情報網の整備があります。第二にそのための都市計画決定等権限の問題があり、現行法制下では政令指定を目指して、権限の委譲を受けた方が良い都市づくりを進めることができます。従って政令指定都市を目指すことが必要となります。第三は物流機能の仕組づくりです。相模原の立地条件を生かして、首都圏のバックヤ-ド機能として、ロジスティックを実現することも必要です。

 なぜ自立都市を目指す必要があるのかということですが、いま日本は大変な財政危機に陥っており、国は小さな政府を目指して、スリム化、行政改革、規制緩和、地方分権(権限委譲)等々を進めていかなければなりません。このような状況をアメリカやイギリスはすでに経験し財政を立て直してまいりましたが、日本も同じように財政の立て直しをしてくるはずです。その時に相模原市が権限委譲などを受けられるだけの行財政能力や都市機能を有しているかどうかにかかってくると思われるからです。